あれこれといちいち確認してくるようになった
例えば
朝パンを食べながら「このパンのちぎり方していいと思う?」
脱いだスリッパを「ここに置いといてもいいと思う?」
家のソファーに置いていた新聞を「この向きで置いてもいいと思う?」
お手洗いの後に「手洗ったか分からない」
食事中、もぐもぐしながら話している時に「今ちゃんとお口隠せてた?」
やたらと、とにかく、今まで出来ていたことが「出来たかどうか分からない」
「〇〇してもいいと思う?」と聞くようになった
原因は私?自己嫌悪で色々考える
幼稚園が始まる前日、夏休み最後の日、初めて映画を観に行った。それはそれは楽しそうに、嬉しそうにしていて、こちらも本当に嬉しかった。
帰宅後、ちょうど1時間だけ好きなTVを見てもいい時間になっていて、私が車から妹ちゃんや荷物を降ろしている間に、そくさくと観始めていた。そのスピード的に、多分手を洗っていない可能性が高い。なんだかカッとなって「なに手も洗わんと観てんの!!!!!!」と怒った。
そのことが影響しているのかもしれない。大きな声で言う必要はなかったし、手は洗っていたかもしれない。自分でも良くない怒り方だったと思う。もしかしたらそのせいで、怒られない様に、逐一確認するようになってるのかもしれない。自分が手を洗ったかどうか、確認しないと分からなくさせたのは私かもしれない。
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自分の怒り方、視線や言葉のかけ方一つで、子どもをここまでにしてしまうのかと感じ、申し訳なさと共に、責任の重さに押し潰されそうになる。自分の器の小ささにもうんざりする。
確かに、そんな風に怒ってしまった辺りから「〇〇してもいいんかなあ?」「〇〇するの、出来てたか分からない」の嵐が始まった。
主人は、私に怒られたことが原因しているのかもと考えていて、でも、どう声をかけてあげるのが良いか悩んでいた。自分の子どもの頃の性格と良く似ているから、自分はどう声をかけて欲しかったのかを考えていた。すごく自分に自信がない様に見えて、「自信を取り戻させてあげたい」と思っていた。
二人で話し合い、「根気強く、話してくれたことは肯定し、良いことは良い、して欲しくないことは理由を説明してして欲しくないと伝える」ことにしようと決めた。
それでも、しとしと降り続く雨の様に止まらない「分からない」「これはいいの?」に自分が潰されそうになり、信頼している保育士をしている友人に相談した。
長い夏休みが終わったことも原因かもしれない
友人に電話で相談すると
「最近、あなたやご主人に環境の変化ってあった?」
「ない」
「幼稚園始まった?」
「今週から」(電話で相談したのは週末)
「それちゃうかな?」
夏休み、丸一か月、ずっと一緒にいたから寂しい気持ちがあるのかも、と。
幼稚園が楽しいこともホンマなんやろうけど、大好きな母ちゃんや家族と一緒にずっと過ごせてたから、今まで行ってた幼稚園とはいえ、また始まって色々気持ちが動いてるんちゃうかなと。
環境の変化に順応中なのかもしれないね、と。
ルンルンで行っている、という訳でもなかったけれど、行きたくない、嫌だと言う訳でもなかったので、その視点はなかった。
「あなたも、子どもが初めて幼稚園に行った日どうやった?」
「寂しかった、号泣した」
「子どもも一緒やで」
そう例えてもらうと、今幼稚園に行っている我が子の気持ちがとても良く分かった気がした。
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この友人には、何度か相談をしているのだが、友人曰く「いつも環境の変化があった時」に相談しているらしい。思い返せば、初めて幼稚園に行きだした時や、妹ちゃんがお腹にいる時だったなと思い出される。
私の話や、一度会ってくれたことのある印象から、お兄ちゃんは「繊細なタイプ」だから、環境の変化があった時、お兄ちゃんなりに「自分を見て欲しい」という気持ちを何かしらで表しているのではないかと。
自分の怒り方が原因ではなかったと安心した訳ではなく、その可能性も十分に頭に入れた上で、他の原因もあり得ると教えてもらえて、今後新学期が始まる時には気を付けて心を観察しようと思ったし、新学期が始まる前には、いつも以上に甘えさせてあげようと気づくことが出来た。
具体的に出来ること
親からしたら、もお何回もええって✋と思うねんけど、出来ていることは「出来てるよ」とそのまま肯定してあげて、質問されたら「じゃあ〇〇はどう思う?」と質問しちゃうのもいいよ。一緒に考える。もちろん、その時に親なりの意見もちゃんと言ってあげて良い。その時間さえもが、〇〇にとっては親子の時間やからね
この回答を聞いて、改めて夫婦で決めた「根気強く、話してくれたことは肯定し、良いことは良い、して欲しくないことは理由を説明してして欲しくないと伝える」を辛抱強くしてあげようとお互いに決意した。
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でも次の日、朝起きて幼稚園に行くまでのたった1時間半程で、最後の方には「大丈夫やから!!!!」と大きな声で怒ってしまった。それ位頻度がすさまじく、参ってしまった。すぐに抱きしめて「大丈夫、出来てるよ」「朝は忙しかったから怒っちゃってごめんね」と伝えた。
きっと、この繰り返しがしばらく続くのだと思う。もっと自分に根気が欲しい。深い深い器が欲しい。育児は本当に育"自"だと痛感する。
自己肯定感の高さ、行動と心の結びつき
友人が最後に話してくれたことがある。お兄ちゃんが妹ちゃんに優しくしてあげられて、可愛がってくれてるのって、自分がちゃんと愛情もらってるからやで、と。
大人もそうやけど、子どもは絶対にまず「自分」その後に「他人」の順番で、自分が愛されてたり、認められてたりしてると、異年児で交流しても優しくしてあげられる。けど、そうでない子は絶対に出来ない。自分が満たされてないから「自分を見て!」と、いわゆる問題行動を取ってしまう。
だから、妹ちゃんにそれだけ優しく出来たり、可愛がってあげたりできるんやから、大丈夫!お兄ちゃんはめちゃくちゃ自己肯定感高いと思うよ!と。
主人にもこの話をすると、泣いていた
自分の声のかけ方、態度で辛い思いをさせてしまっているのではないかと思っていたから、救われる、と。主人なんて私の数倍忍耐もあり、声をあげて怒る事なんてなくて、それでも子ども達には幸せになって欲しい、と悩んでくれていたことがなんだかとても嬉しかった。
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そして、今後のヒントにもなることも教えてくれた。
それは、大人から見て、今まで出来ていたことが出来なくなっていたり行動が後退している時は、心が成長している時なんだそうだ。
子どもは一進一退。あれ?今まで出来てたのにな?と気づいた時は、心が成長している証。そう捉えると、何が原因だったかも探しやすい。(今回の場合は環境の変化)
主人と私だけだと、視野が狭くなって考えつかなかった視点で話してくれるので、本当に有難かった。
幼稚園ではどうなのか、もし家でだけで幼稚園ではいつも通りなら、環境の変化に順応中の可能性が高いね、とヒントももらったので、幼稚園の先生にも共有して相談してみようと思う。
同じ様に悩む親御さんの、少しでも助けになればと、共有したかったのでした。