美しい表紙のイラストからは、想像しがたいお話。深く想像しようとするならば、その苦しさに飲み込まれてしまいそうな。
感想
この先もどうかこの人たちが幸せでありますように、と読み終えた私は願わずにはいられなかった。
幸い、私は想像でしか経験することのない出来事がこの物語では起こっていて、でもその出来事は今もどこかで私の知らない誰かが経験している。すぐそこにいて、助けを求めているのに、届かない。52ヘルツの周波で、誰にも届かない歌を歌うクジラのように。
私は、今まで誰かの52ヘルツ声を聴くことが出来ただろうか。もしかすると、あれはそうだったのかもしれない、私も知らずの内に、聴いてもらっていたかもしれない。そう思える記憶が、自分の中にあることが嬉しく、温かい気持ちで包まれる。
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では、私はこれから、自分の大切な人の52ヘルツの声を聴き逃さずにいられるだろうか。私の子ども達は、これからたくさんの、様々な経験をするだろう。必要な苦しみもあれば、経験しないで済むならば、そうさせてあげたいような苦しみもあるかもしれない。そんな時に、かすかにでもその声を聴くことが出来る自分でありたいと思うし、そうある為には自分自身が成長するにほかならないのだと思う。
そして、願わくは私達夫婦がそうであるように、心を通わせられる人たちに巡り会うことが出来ますように。
心に残った文章と想い
わたしがこの子にしようとしていることはきっと、聴き逃した声に対する贖罪だ。消えることのない罪悪感をどうにかして拭おうとしているのだ。でも、それでもいい。彼の代わりだとしても、純粋な思いじゃないとして、今はこの子を助けたい。こんなわたしでも、できるのならば。
-貴瑚
昔むかし、偽善者だと言われたことがある私は、こう思える貴瑚がとてもかっこいいと思った。偽善でも、贖罪でも、目の前の人を助けることになんら変わりはない。
わたし、お母さんが大好きだった。大好きで大好きで、だからいつも・・・いつも愛して欲しかった
ー貴瑚
自分が親になり、しみじみ感じる、我が子からの無償の愛。これでもか、これでもかと大好きを感じる。だから、この貴瑚叫びには目が潤んだ。どれだけのことをしても、大好きだと言ってもらえる”お母さん”というこの立場。無償の愛を注いでくれる我が子たちの愛の上にあぐらをかかず、私も彼らに愛を沢山注ぎたい。
貴瑚の辛さを半分ちょうだい。貴瑚がそれを罪だと言うのなら、私にもその罪を半分背負わせて。
ー美晴
美晴は、ずっと優しくて強い。美晴のような人でありたい。大切な人が苦しんでいる時に美晴の様な言葉を、態度を、視線を届けれられる人でありたい。
わたしはまた、運命の出会いをした。一度目は声を聴いてもらい、二度目は声を聴くのだ。
ー貴瑚
運命の出会いが、その先一生の付き合いになるとは限らない。離れ離れになることだってある。でも、その運命は、私を大きく変えるし、変われたことはこれからの自分を創る。声を聴いてもらえたこと、誰かの声を聴くことが出来ることは、もしかすると、人間にとって何よりの幸福なのかもしれない。対話、という事が出来る人間の。
まとめ
書店で見かけては気になっていた本。やっと読むことが出来て良かった。この著者の、他の本も読んでみたいと思いました。
小難しい言い回しや、くどさが無く、本を読むのが苦手な方でも読みやすいお話でした。